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主張

 

排除・拝外、包摂・統合を考える

「解放新聞」(2016.09.05-2777)

 新自由主義が世界を覆い尽くしている。
  新自由主義政策を多くの国が採用することで、2011年のウォール街占拠闘争のスローガンが示したように、1%の人間に富が集中し、99%の人びとが富からは排除されている現実がつくりだされている。
  新自由主義が主張するのは、①規制緩和②金融市場の自由化③富(所得)の再分配は不要④福祉国家による経済活動への介入を認めない、ということだ。新自由主義が民主主義的な国家をおしのけた。
  新自由主義は、資本主義が矛盾として生み出してきた貧困、失業、恐慌、金融危機、不平等という矛盾をより激化させている。中間層が厚く形成されることなく、格差は拡大し、世界中の多くの人びとが人間らしい生活や労働、文化を奪われている。
世界の多くの国国で、住民、移民、低所得者層、没落する中間層、世代などの間で分裂や対立が深刻化している。こうした民主主義にもとづく国民国家の破綻という危機のなかで、そこを狙って無差別テロがくり返されている。
  だが、国家はテロという国民の恐怖心を養分にしながら、国民保護という存在の正当性をひき出し、国民を監視・管理下におき、テロリストや人種的・民族的・宗教的・文化的な異端者をあぶり出し、差別・排除・排外、そして包摂・統合しながら活性化している。
  これは、一人ひとりの個人のあらゆる可能性をひらき、他者とのかかわりのなかで、みずからの存在意義を実感できる社会ではない。他者への信頼や想像力を欠いた、個人が他と置き換え可能なマスや数とされる社会だ。
  フランスやトルコでは、人権の制限や表現の自由の停止という、憲法上の理念すら投げ捨てる例外的措置が当たり前になっている。こうした国国をみながら集団的自衛権の行使についで、「緊急事態条項」を突破口に、予測不可能の事態をも養分にしながら、「一流」国家への脱皮をはたそうとしているのが安倍政権だ。

 安倍政権のもとで、アべノミクスという名の経済政策が続けられてきた。そもそも円安などの通貨政策が持続的効果を生まないことは常識だ。いまや円高が市場では基調となっている。
  破綻は誰の目にも明らかなアベノミクスを化粧直しし、「一億総活躍社会」のネーミングで打って出たのが7月の参議院選挙だった。いつものように憲法改悪という爪は隠し、経済政策を前面に押し出し、野党の政策を全部マニフェストに入れるかたちで、争点をつくらないという政略で、憲法を変えるために必要な3分の2議席以上を獲得するという勝利をおさめた。
  個別政策には異を感じるが、野党にも期待はもてない、だから与党に投票する、消極的に支持することがこの結果を生み出した。こうした傾向を加速させたのが、政権のマスコミ政策を付度したメディアの動向だ。争点を明らかにした選挙報道をしないというのが、報道の自由度世界72位の実態だ。
  だが、個別政策が焦点となり、法人税率ひき上げを、賃上げを、教育や福祉の充実をという声で、アベノミクスが否定されたときの自民党への支持の弱さが、安倍首相が応援に入った1人区での野党共闘の勝利に結びついている。
安倍一強体制のもとで、社会のあらゆる分野で再編が展開されている。アメリカが半世紀かけて蓄積してきた食料戦略に屈服、迎合し、米国籍の国際企業に、日本市場の門戸を大きくひらこうとしているのが、TPP(環太平洋経済連携協定)だ。9月からの臨時国会で、国民に情報開示をすることなく、いつものように虚偽を語り、TPP関連法案の強行突破を図ろうとするのが、今日の安倍政権の姿だ。
  同時に、憲法審査会をひらき、一部野党も巻き込み、いよいよ憲法改悪策動を本格的に開始している。

 それは巧妙に計画されたものだった。
まず、7月13日、NHKで報道させ、それなら安心と各社がそのあとを追った。翌日の新聞各紙は一面トップで、高齢となり、激務ゆえに健康上の不安を理由に、生前退位を明仁天皇が希望していると書き立てた。もちろん、宮内庁は否定しているとの談話を掲載するのだが。その狙いは、天皇に同情や共感を寄せる国民の声を組織するためだった。
8月8日、昭和天皇の玉音放送にも似た、テレビを通じた録画放送がおこなわれた。「人びとの傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄りそうこと」、国民・民草への愛情を語り、国民と一体としたものとして象徴天皇制があることを語った。高齢のために健康の不安があり、公務にも差し支えが出てきている、と温和な顔で画面を通じて語りかけた。
  「多くの国民が敬意と共感を寄せている」(朝日新聞社説)のは、さまざまな慰霊行為や被災者への見舞いにたいしてである。膝をつき被災者と同じ目線で話すという、被災者への見舞いのスタイルが最初におこなわれたのが1991年の長崎県雲仙普賢岳の噴火被害にたいしてだった。
  もちろん、さきの大戦で犠牲になった人びとや子孫、被災者が天皇の言葉によって、癒やされ、労苦を忘れることができるのなら、それでいい。恨みを抱いたまま生き続けるのは苦しいし、災害の困難な生活を堪え忍ぶことは大変だからだ。
  だが、よく考えてみてほしい。
  その場面では、みずからの国民の不幸を悲しむ高貴な人と、悲しまれるものとしての民草たる国民が存在するのである。最初から、同情という上から目線なのだ。上から目線を隠すのが、保守派から反発を受けた、膝をついてというスタイルなのだ。
  こうした行幸啓は、憲法に規定された天皇の「国事行為」ではない。たんなる「公務」であり、これに加重負担があるなら、整理し、「国事行為」だけにすればすむ話ではないのか。だが、この行幸啓こそが天皇を特徴付け、国民との一体性を演出するものだった。
  天皇を政治利用してきた政府は、「有識者会議」をたちあげるとしている。ならば、そこでは「万邦無比の国体」を根拠に天皇制の継続を前提にして論議するのでなく、天皇それ自体の人間性という観点からの廃止論があってもいいのではないか。あるいは、憲法上の国民主権や基本的人権という観点から、生まれによる差別(何の根拠もなく貴いとされる)を前提にした世襲天皇制のあり方の是非などが、国民にひらかれたかたちで論議されることが必要ではないのか。
  象徴天皇制の継続に一番危機感を持っているのは天皇自身なのだ。「日本国民統合の象徴」であるためには、分裂した社会ではなく、すべからく国民が幸福を感じる社会でなくてはならないからだ。だが現実はそうではない。そのために統合が虚構にならないように、さまざまな発言がおこなわれてきた。
  しかし、こうした天皇の言説を根拠や権威にして安倍政権と対抗するという発想が誤っていることはいうまでもない。
  生まれにより賤しい、穢れていると差別されている私たちは、「身分意識の強化につながる天皇制および天皇の政治利用への反対」という立場から、今回の事態を凝視しなければならない。

(注)
国民という言葉には、包摂され、国籍を与えられた人、という意味があります。そのため、統合されていない、あるいは国籍を与えられず、同じ国家に属しながら権利などを奪われている、という存在も意識していますということで、国籍を持つ人びとを「国民」とする表記があります。しかし、今回の主張は、国家と国民の排除・排外、包摂・統合をあつかう内容なので、カギカッコは外しています。


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