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部落問題資料室
部落解放同盟ガイド
見解

 

布川事件の再審無罪判決にあたって

部落解放同盟中央本部

 昨日、水戸地裁土浦支部において、布川事件の再審公判がひらかれ桜井昌司さん、杉山卓男さんに無罪判決が出された。獄中29年間を含む43年以上におよんだ2人の雪冤にかけた闘い、それをささえた支援者、弁護団の闘いにあらためて敬意を表するものである。
  再審無罪判決は、事件現場に2人と一致する毛髪や指紋がないなど、そもそも客観的証拠がなかったとした。そのうえで、確定判決で有罪の証拠とされた自白は客観的事実に反し変遷があり信用できず、また現場で2人を見たとする目撃証言もそもそも信用できないとして無罪判決を言い渡した。さらに、無罪判決は捜査段階の自白が任意になされたかにも疑問があるとし、また、当初から2人が主張したアリバイ供述も虚偽とはいえないとしている。
  しかし、だとすれば、この当たり前の無罪判決になぜ44年もの歳月がかかったのか、誤判原因の究明と、司法関係者の厳しい反省、責任が問われているといわねばならない。
  最高裁第2小法廷は、狭山事件の上告を棄却した翌1978年、「自白は任意になされ真実性がある」「目撃証言は信用でき2人のアリバイ主張は虚偽である」として布川事件においても上告を棄却し、その後の第1次再審請求も棄却されている。多くの裁判所、裁判官がえん罪を見抜けなかったのである。
  第2次再審請求で再審開始の理由となったのは、事件当時の毛髪鑑定によって、現場に2人とは別の毛髪があったこと、事件当日、2人とは別の人物を現場で目撃した証言があり、2人を見たとする有罪の証言は信用できないことが明らかになったからであった。しかし、これらの当時警察、検察が集めた証拠は、じつに30年以上も隠されていたのであり、弁護団の粘り強い要求と証拠開示を求める市民の声のなかで、裁判所の勧告によって、ようやく明らかにされたものである。また、布川事件では、検察官にたいして否認した桜井さんを再度、警察の代用監獄に戻して取り調べ、虚偽自白を強要した。志布志、氷見、足利、郵便不正事件などあいついだ無罪判決、そして今回の布川事件再審無罪判決を教訓にするならば、こうしたえん罪、誤判を生んだ司法の改革こそがすみやかにおこなわれなければならないはずである。
  布川事件におけるえん罪の構造、自白の強要のやりかたは狭山事件と同じである。狭山事件では第3次再審請求の3者協議で、ようやく証拠開示がおこなわれ、つぎつぎと新事実が判明し、自白の疑問がますます明らかになってきている。布川事件の再審無罪判決に学び、狭山事件においても徹底した証拠開示と事実調べをかちとり、再審開始、石川さんの雪冤をかちとる決意をあらたにするものである。多くのみなさんのご支援をあらためて訴える。
  そして、布川事件の再審無罪判決を教訓とし、あらゆるえん罪の防止、誤判救済のための司法改革、とりわけ弁護側への証拠開示を検察官の義務とする、公正な証拠開示の法制化を実現する運動を幅広くすすめることを訴える。

布川事件とは
1967年8月末、茨城県利根町で1人暮らしの男性が殺害され、室内が物色されていた事件。警察は、犯行時刻は8月28日の午後8時ころで犯人は2人連れの男として捜査をすすめたが、犯人を割りだすことができなかった。事件後約40日たった10月10日、桜井昌司さん(当時20歳)が、友人のズボン1本の窃盗を口実に別件逮捕され、連日の長時間におよぶ代用監獄での取り調べで、殺害を認めるウソの自白をさせられた。桜井さんは、兄のところにいたとアリバイを主張したが、取り調べ官は「(兄は)いなかったといっている」、「ウソ発見器に犯人とでた」「母親もどうにでもしてくれといっている」などと虚偽をつげ、自白を強要した。翌日、杉山卓男さん(当時21歳)が別件で逮捕され、杉山さんもアリバイを主張したが、「相棒(桜井さん)がおまえとやったといっている」などときびしい取り調べを受けて虚偽の白白に追い込まれた。1970年に水戸地裁土浦支部で無期懲役判決、1978年7月、最高裁が上告を棄却し、無期懲役が確定、2人は千葉刑務所に収監された。1996年に2人は仮出獄し、2001年に第2次再審請求、水戸地裁土浦支部は開示勧告、事実調べをおこない、2005年9月、再審開始決定をおこなった。検察官は即時抗告したが、2008年7月、東京高裁は再審開始を決定。2009年12月に最高裁は高裁の開始決定を支持する決定をおこない、再審開始が確定した。2010年7月から再審公判がはじまり、5月24日、水戸地裁土浦支部で無罪判決が出された。

2011年5月25日
部落解放同盟中央本部
委員長 組坂 繁之

 

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