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オスプレイ配備を中止させ、平和・人権確立へ基地撤去のとりくみを強めよう

「解放新聞」(2012.10.01-2587)

 いま米軍・垂直離着陸機オスプレイの日本への配備問題が焦点化している。
  オスプレイは、ヘリコプターとプロペラ機をあわせたような機体で、離着陸時はプロペラを上に向け、飛行時には前に向けるので、狭い場所でも離着陸でき、飛行機と同じ速度と飛行距離がでるのが利点といわれている。しかし、プロペラの方向を変えるときに事故がおこりやすい欠点が指摘されてきた。
  オスプレイは、開発段階から事故が連続し、これまで7機が墜落し米兵36人が死亡している。安全性にたいする疑問は、開発当初から指摘されていた。今年に入っても4月にモロッコで、6月にフロリダで墜落事故をおこしている。
  また、米国防総省付属機関・国防分析研究所で1992年から17年間オスプレイの技術評価を担当した元主任分析官のレックス・リボロさんが、米国下院公聴会で「飛行中にエンジントラブルがあった場合の離着陸機能が欠如している。人命軽視の軍用機だ」と証言している。
  さらに、離着陸時の風圧が相当強く、2010年に展示飛行で会場の公園に着陸しようとした時に、まわりの木を折り、10人がけがをする事故もおこしている。騒音も大きく、発生する低周波も問題視されており、2011年には米国アラバマ州で住民の苦情で空軍がオスプレイの飛行訓練を中止する事態もおこっている。

 今年の墜落事故について米国政府は、構造的欠陥はなく操縦ミスだといい張り、日本政府はそれに追随し、普天間基地への配備を容認している。
  オスプレイの飛行訓練計画は、沖縄から九州、四国、本州の上空で、1年間に330回におよぶという。それも飛行ルート上にある建物、鉄道や港湾を仮想の攻撃目標として、レーダーに捕捉されないよう150メートル以下の低空で飛行訓練するという。まさに危険きわまりない、命の軽視といわなくてはならない。
  日本政府は、9月19日に東北から奄美大島にかけての6ルートでのオスプレイの飛行訓練を認める「安全宣言」をだした。低空飛行訓練は、アラスカ州を除く米国内やNATO(北大西洋条約機構)内のどの国でも認められていない。それを日本でおこなおうというのである。私たちの命はそこまで軽く見られているのである。
  私たちはいまこそ、1959年の沖縄の宮森小学校米軍戦闘機墜落事故、1964年の東京の町田市、神奈川県の大和市、1977年の横浜市緑区での米軍戦闘機墜落事故、そして2004年の沖縄国際大学への軍用大型ヘリコプター墜落事故などを思いおこさなくてはならない。

 住宅密集地の真ん中にある普天間基地にオスプレイの10月中の配備が確定したが、言語道断といわなくてはならない。9月9日、沖縄でオスプレイ配備に反対する集会が開催され、10万人をこえる人びとが集まり怒りの声をあげた。
  また、7月23日に岩国基地へのオスプレイ搬入が強行され、一時駐機とはいえ、岩国市長、山口県知事は一斉に反発し、地元では反対集会が開催された。
  配備予定の沖縄県は、41市町村すべてが反対し、オスプレイの低空飛行訓練が予定されるルート下の全国の自治体の多くが反発を強めている。
  またこのさい、日米地位協定についても問題を指摘しておきたい。沖縄国際大学への墜落事故の時も、日本の警察は米軍によって排除され、事故検証さえできなかった。在日米兵による犯罪も多発しているが、日本の法律で罰せられることはほとんどない。日本と米国の関係は、対等平等の関係とはいい難い。在日米軍基地は、そのような日米地位協定に規定された理不尽な現状のうえに成り立っている。日米安全保障条約が「国」の安全を守るというが、それが私たちの命や人権を脅かしているとすれば、本末転倒といわなくてはならない。このことは、沖縄戦で住民を守るべき日本軍が住民に犠牲を強いた史実を思いおこさせる。
  敗戦から67年、また「国家」なるものが前面に押し出される危険な兆候が見える。私たちは、一人ひとりの命と人権を大切にする社会をめざして、あらためて日本国憲法が掲げた平和主義の意義を再確認し、オスプレイの配備の中止、基地の縮小・撤去のとりくみを強めよう。


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