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部落問題資料室
部落解放同盟ガイド

部落解放同盟第57回全国大会/一般運動方針

第Ⅰ部 基調

 第57回全国大会は、二〇〇〇年という大きな節目の年に開催されます。本年は、新たな一〇〇〇年代のはじまり(ミレニアム)であるとともに、二〇世紀最後の年にもあたります。おりしも、世界と日本、そして部落解放運動も大きな転換期にさしかかってきています。したがって今大会では、この百年を振り返り、その教訓を確認するとともに、今日の内外情勢の特徴をふまえ、二一世紀に向けた部落解放運動の基本方向を指し示す大会としなければなりません。

一 部落解放運動をめぐる情勢の特徴

 1 国際情勢の特徴
 ① 二一世紀を目前に、各方面で二〇世紀の総括がおこなわれています。そのなかで、共通して指摘されていることは、二〇世紀とは二度にわたる世界戦争に象徴される、戦争の世紀であったという点です。
 ② とりわけ、第2次世界大戦では多くの人びとの命が奪われただけでなく、ナチス・ドイツによるユダヤ人虐殺や、日本軍による朝鮮や中国での侵略行為に代表される深刻な人権侵害と、広島・長崎への原爆の投下という、人類の滅亡をも思わせる非人道的な行為がもたらされました。
 ③ これらのことを深刻に反省するなかから、一九四八年十二月十日、国連の第3回総会で、「差別の撤廃と人権の確立が恒久平和への道である」ことを明らかにした「世界人権宣言」が採択されるとともに、核廃絶に向けた平和運動が国際的に盛りあがっていきました。
 ④ 「世界人権宣言」と核廃絶に向けた国際的な平和運動の盛りあがりこそ、二〇世紀に人類が獲得した最大の成果であり、二一世紀に引き継がねばならないものです。
 ⑤ 平和と人権、民主主義の確立を求める多くの人びとの努力、ソ連邦をはじめとする各国の政治・経済の行き詰まりがあいまって、冷戦構造が崩壊しました。「人類にたいする犯罪である」と非難されてきた、南アフリカのアパルトヘイトも廃絶されました。
 ⑥ しかし、冷戦後、自由主義市場経済が世界を席巻し、グローバル化が急速に進行しています。インターネットに代表される情報技術(IT)革命の進行によって、投機的な経済取引が大規模におこなわれている結果、国際金融危機に象徴される世界経済の不安定性が、かつてなく増大してきています。その結果、世界的にも、一国内でも、経済格差と不平等が急速に拡大し、そのしわ寄せが発展途上国の債務危機としてあらわれていますし、各国の被差別民衆に押しつけられてきています。
 ⑦ また、世界各地で民族紛争が激化し、内戦状態になっている地域も少なくありません。先進諸国でも、ネオ・ナチ勢力の台頭がみられ、被差別民衆にたいする攻撃が強まっています。また、インド・パキスタン紛争で表面化したように、核拡散と核戦争の危険性も看過できない状況にあります。さらに、地球的規模での環境破壊が進行し、現在はもとより将来の世代へのとり返しのつかない打撃をもたらし始めています。こうして、人権と平和、発展と環境が、文字どおり「人類的課題」となってきました。
 ⑧ これらの「人類的課題」にとりくむために、九二年六月、ブラジルのリオデジャネイロで国連環境開発会議、九三年六月、オーストリアのウィーンで世界人権会議、九五年三月、デンマークのコペンハーゲンで世界社会発展サミット、九九年五月、オランダのハーグで世界平和アピール会議などがあいついでひらかれ、一連の「宣言および行動計画」が採択されました。これらの会議では、NGOが大きな役割をはたしました。
 ⑨ とくに、「世界人権宣言」四五周年の九三年六月、国連の提唱でひらかれた世界人権会議では、冷戦後の世界でみられる深刻な人権状況を克服するため、「ウィーン宣言および行動計画」が採択されました。このなかで、人権の普遍性と不可分性が確認されるとともに、国連人権高等弁務官の設置と人権教育の世界的な推進が確認されました。
 ⑩ これを受けて、九四年には国連人権高等弁務官が設置されるとともに、「人権教育のための国連10年(九五~二〇〇四年)」が開始されたのです。そして、今年は、その中間年であるとともに「平和の文化国際年」であり、六月には、アメリカのニューヨークで「国連女性二〇〇〇年会議」が、九月には、二一世紀の国連の役割を明らかにする国連ミレニアム特別総会が開催されます。
 また、来年には南アフリカで国連主催の反人種主義・差別撤廃世界会議が予定されています。いまこそ「世界人権宣言」の精神を再確認し、その実現を求める地球規模でのとりくみを強化することによって、平和で豊かな、すべての人びとが安全で幸せに暮らせる二一世紀を切り拓いていくことが求められています。

 2 国内情勢の特徴
 ① 二〇世紀の日本は、日露戦争、韓国併合、日中戦争、第2次世界大戦と、文字どおり侵略と戦争に明け暮れた世紀でした。周辺諸国人民に筆舌につくしがたい被害を与え、みずからも広島・長崎への原爆投下に代表される甚大な被害を受けて、日本は敗戦をむかえました。
 ② 第2次世界大戦を深刻に反省することのなかから、一九四七年五月三日、「日本国憲法」が施行されました。この憲法は、戦争放棄、基本的人権の尊重、主権在民を基調とするものでした。とくに憲法第一三条には個人としての幸福追求権、第一四条には差別の一般的な「禁止」が盛りこまれました。
 ③ けれども、「日本国憲法」に盛りこまれたこれらの原則、とりわけ基本的人権の尊重にかかわった原則を具体化する個別法の整備などは、おこなわれませんでした。七〇年代以降の部落解放運動をはじめとする国内外の多くの人びとの努力によって、日本は七九年六月、「国際人権規約」を批准しました。これ以降、日本は、「難民条約」「女性差別撤廃条約」「子どもの権利条約」「人種差別撤廃条約」などにあいついで批准・加入しました。これらはすべて、「日本国憲法」の人権条項を発展させ、具体化することに役立つ条約ですが、国内での普及・宣伝と具体化が遅れています。
 ④ 第2次世界大戦での敗戦により、日本の主要都市は焦土と化しました。ちまたに失業者があふれ、食糧不足を補うための買い出しが随所にみられました。しかし、またたく間に、経済の建て直しをはかり、六〇年代の高度経済成長時代をへて、日本はアメリカにつぐ経済力をもつまでになりました。この奇跡ともいえる経済復興の背後には、経済の二重構造を利用した低賃金と長時間労働、さらには朝鮮戦争、ベトナム戦争の犠牲のうえにもたらされた「特需」があったことを、忘れてはなりません。
 ⑤ 九〇年代に入り、日本はバブル経済の崩壊にみまわれました。それ以降、金融機関の不祥事があいつぎ、経済成長も停滞をつづけています。金融機関の救済と経済の活性化のためと称して国家財政の出動がおこなわれた結果、二〇〇〇年度末の国債発行残高は、特別会計も含めると四百八十五兆円(地方自治体分もあわせると六百四十五兆円)に達すると推計され、国家財政は破綻に追いこまれています。自由主義市場経済にもとづくグローバル化の波は日本経済をも呑みこみ、企業倒産、企業の買収、集中合併が進行しています。その結果、リストラが強行され、失業率も戦後統計をとりはじめた五三年以降最高(九九年の平均で四・七㌫、三百十七万人)を更新し、野宿生活者が増加してきています。
 ⑥ 国政をめぐる状況も、九〇年代の半ばから日本は連立政権の時代に入りました。しかし、政局は混迷をつづけ、各種選挙での投票率の低下、支持政党なし層の増大に象徴される国民の政治不信は、かつてなくつのっています。一方、「男女雇用機会均等法」の改正、「男女共同参画社会基本法」の制定が、女性差別撤廃を求める人びとの努力で実現しました。また、原発や基地、環境など住民の生命や安全に直接かかわった事項について、住民みずからが投票をおこない意思表示をするための「住民投票条例」の制定など、新たな住民運動の高まりがみられます。いまこそ、人権、平和、環境、国際連帯を機軸にした政治勢力の結集と強化が求められています。
 ⑦ 戦後最大の困難におちいり、出口の見えない日本経済の状況と、混迷を深める政治状況のなかで、漠然とした不安感が人びとの心をとらえています。その結果、オウム真理教事件、連続通り魔殺人事件、保険金殺人事件など、「人の命が軽視される傾向」が強まっています。部落差別や民族差別についても、九八年六月に「差別身元調査事件」が発覚してきていますし、皆殺しをよびかける差別落書やインターネットを悪用した差別宣伝が増加してきています。
 ⑧ また、日本の戦争責任を否定し、天皇の政治的利用を強め、日本国憲法の戦争放棄、基本的人権の尊重、主権在民という基本原則を否定しようとする反動・差別勢力の暗躍が強まってきています。このことは、さきの国会で、内外世論の批判を無視して「国旗・国歌法」や「盗聴法」を制定し、「住民基本台帳法」を改定したこと、さらには憲法調査会が国会内に設置されたことや有事法の制定とアジア地域での戦争への積極的な参加がもくろまれていることなどに、象徴的に示されています。この勢力がたどろうとしている道は、「いつかきた道」だといわねばなりません。すなわち、内での差別抑圧の強化、外への侵略と戦争の道であり、日本と世界を破滅に導く道です。
 ⑨ 日本はいま、明治維新、第2次世界大戦での敗戦に匹敵する大変革のまっただなかにあります。政治、行政、司法、経済、教育などあらゆる分野でまったなしの改革が迫られています。しかし、この改革が、国権主義を強め、国内での抑圧と国外への侵略をもたらすものであってはなりません。「日本国憲法」の基本原則である、民主主義、平和主義、人権主義を発展させるものでなければなりません。
 ⑩ 今年は、総選挙(衆議院議員選挙)のある年です。以上のような内外情勢を直視したとき、今回の総選挙は、侵略と戦争に彩られた二一世紀ではなく、人権と平和が尊重される二一世紀をつくり出せるかどうかが問われる、きわめて重要な選挙となってきています。

二 部落のおかれている現状と差別の特徴

 一九九三年に政府(総務庁)が、全国三十六府県四千六百三地区を対象に実施した生活実態調査(五万九千六百四十六世帯)と、全都道府県で実施した国民意識調査によっても明らかにされた差別の実態の特徴的な点を、つぎに簡単に列挙します。

1 多い不就学者、少ない高等教育修了者
 部落の生活実態のなかで、もっとも深刻な課題の一つである教育の実態を最終学歴にみると、初等教育(義務教育)修了者が、部落で五五・三㌫(国勢調査で三一・六㌫)、中等教育(高校)修了者が三二・三㌫(四五・四㌫)、高等教育(大学)修了者が七・六㌫(二一・二㌫)、不就学者は三・八㌫(〇・二㌫)となっています。
 このように、不就学者の比率が圧倒的に高く、高等教育の修了者がひじょうに少ないという点に、教育面での部落差別の実態の特徴がはっきりとあらわれています。

2 不安定な労働・産業
 ① こうした教育の実態は、仕事の実態のうえにも反映しています。「有業者の勤め先の企業規模」に典型的にあらわれていますが、部落は「一~四人」で二二・一㌫(就業構造基本調査二〇・七)、「五~九人」で一二・二㌫(八・七㌫)と高く、逆に「三〇〇人以上」では一一・六㌫(二五・五㌫)と低くなっています。
 ② そのことは「有業者の年収額」にもあらわれています。年収が二百九十九万円までの人は、部落が五八・二㌫(就業構造基本調査三八・三㌫)と多く、逆に四百万円以上の人は部落が二三・七㌫(四一・一㌫)と少なくなっています。
 ③ 部落の業者の実態をみると、建設業二九・九㌫(事業所統計調査八・九㌫)、皮革履物関係五・〇㌫(〇・二㌫)、廃棄物処理関係二・四㌫(〇・二㌫)といった業種の事業所が多い特徴があります。そして、経営組織別にみると、個人経営が部落で八三・五㌫(事業所統計調査五七・三㌫)と多く、株式会社は、六・四㌫(二三・八㌫)と少ない状況です。
 ④ 農業経営も零細で、部落は三十アール未満の耕地面積の農家が四一・八㌫(農林業センサス二三・六㌫)ときわめて高く、逆に百アール以上の農家は一一・四㌫(三一・五㌫)とひじょうに少なくなっています。
 農産物販売額をみても、部落では「販売なし」が四三・〇㌫(六・〇㌫)を占めています。
 ⑤ 「ボタ山のあるところ、被差別部落あり」といわれるように、炭鉱と部落は密接な関係があります。福岡県の産炭地である筑豊地区では、現在、閉山された炭鉱地域に、約三百の被差別部落が存在しています。炭鉱閉山による諸問題(失業、鉱害復旧、ボタ山処理、老朽炭住建替、振興政策、関係自治体の財政援助など)の解決にあたり、「筑豊の命綱」といわれる「石炭関係六法」・諸法は、未解決の問題が山積するなかで、二〇〇一年三月三十一日で失効となります。
 このような状況のなかで、政府は産炭地域振興策の柱となる、「産炭地域振興臨時措置法」を継続する「激変緩和措置」の期間を、法失効後二〇〇六年まで五年間とすることを二月初めに閣議決定し、今国会で成立をめざすとしています。「部落解放基本法」制定と結合して、地域共闘を強化するとともに、産炭地域の振興、鉱害の完全復旧、就労対策を求め、国の政策確立を迫っていく必要があります。

3 すすむ青年層の流出と多い高齢・母子・父子・生活保護世帯
 ① 部落の住環境の改善はすすんできましたが、さまざまな理由により、生活状況に多くの課題が存在しています。都市部落では画一的で狭小な公営住宅が多いこと、農村部落では就労先が少ないため青年層の流出がいちじるしく、部落の活力を損なわせています。それは年齢構成をみると、「二〇~三四歳」が部落の場合一七・三㌫(国勢調査にもとづく推計人口二一・〇㌫)と、少ないことに、はっきりとあらわれています。
 ② また、高齢者世帯一八・一㌫(国民生活基礎調査一一・八㌫)、母子世帯二・二㌫(一・二㌫)、父子世帯〇・五㌫(〇・二㌫)と、困難な諸課題をかかえた世帯が部落に多いことがわかります。
 ③ 「生活保護世帯と住民税非課税世帯」が部落で二五・八㌫(国民生活基礎調査一五・九㌫)と高く、「住民税均等割課税世帯」も一三・七㌫(四・四㌫)と高く、経済的に不安定な世帯が多い状況が、依然として改善されていません。

4 3人に1人が差別を受ける
 ① 「人権侵害の状況」をみると、「今までに同和地区の人であるということで人権を侵害されたことがありますか」という質問にたいして、三三・二㌫の人が「ある」と答えています。
 ② さらに、人権侵害の内容は、結婚(二四・二㌫)、日常の地域生活(二三・六㌫)、職場のつきあい(二一・二㌫)、学校生活(一六・三㌫)の順になっています。
 ③ 「人権侵害への対抗方法」は、複数回答ですが、「だまってがまんした」が四六・五㌫、「相手に抗議した」が二〇・二㌫、「身近な人に相談した」が二二・四㌫となっていて、「法務局又は人権擁護委員に相談した」は〇・六㌫にすぎません。公的機関がほとんど役に立っていないことが示されています。

5 放置されつづける一千部落
 「同和」対策事業の対象から排除された約一千の地区指定されていない部落の実態は深刻です。
 ○ア一九六九~七一年にかけて「同和」対策事業を実施したにもかかわらず、部落はないとする山形県米沢市○イ区画整備事業からも排除し結婚差別も無視してきている福島県会津若松市○ウ一九六七年精密調査でも調査対象となり報告もされているにもかかわらず根強い「寝た子を起こすな」意識の福島県会津坂下町○エ九地区約一千世帯の部落があり一九六三、六七年には部落の存在を国へ報告していたにもかかわらず、六九年の「特別措置法」以降、部落の存在を否定しつづける群馬県桐生市○オ結婚差別事件として名古屋高裁判決(一九七五年)でも確認されたにもかかわらず無策をつづける富山県富山市○カ「部落はない」としていたのに差別事件が発覚した石川県や長野県戸隠村、長崎県島原市○キ一部地元有力者が断ったことを口実に差別撤廃の責任を放棄してきた三重県伊勢市、滋賀県近江八幡市○ク差別戒名までが発覚している佐賀県武雄市、など氷山の一角の事例といえます。

6 深刻な差別事件の実態
 ① 一九九八年六月に大阪で発覚した「差別身元調査事件」は、きわめて悪質な事件です。「差別身元調査事件」はバブル期におこなわれていたものですが、今日の経済不況下でいっそう深刻になってきている就職差別の実態を明らかにしていかなければなりません。同時に『部落地名総鑑』差別事件から二十五年、いまだに根強く残る企業の差別体質についても、徹底的に追及していく必要があります。中央本部に設置された闘争本部のとりくみを中心に、全国的な闘いをすすめ、真相究明と差別糾弾闘争をとおして、差別につながる身元調査の根絶とともに、労働省の「労働者の個人情報保護に関する研究会」報告(一九九八年)が提起する労働者の個人情報保護のための法制度実現や、「ILO第111号条約」の批准に向けた広範な運動を大きく前進させていきます。
 ② 急速に普及してきたパソコン通信やインターネット通信を利用した差別事件が続発しています。とくに、部落解放運動への無責任な誹謗中傷、差別扇動をはじめ、部落の所在地一覧や部落出身芸能人リストなどが一方的に流されています。差別行為者が特定できないなかで、挑戦的な内容や愉快犯的な内容が多く、高度情報時代を反映した深刻な社会問題になっています。
 ③ 曹洞宗住職の差別講演事件、浄土真宗本願寺派住職の奈良、北海道での差別発言、浄土宗住職の埼玉、東京での差別発言、鳥取県信用農業組合連合会研修会での派遣講師による差別講演など、この間、部落差別撤廃に向けてとりくみをすすめてきた団体、とくに宗教教団での差別事件が起きています。これまでのとりくみの内実を問い直し、原点に返った研修体制・内容の充実が求められています。
 ④ 全国で差別落書事件が多発しています。とくに公共施設への落書にたいしては、現行法で対処したり啓発活動の一環として「警告文」の掲示や差別落書防止キャンペーンなど、広範なとりくみがすすめられています。

7 根強い差別観念
 ① 結婚差別に象徴されるように、依然として根強い差別観念が存在します。九三年の政府(総務庁)による国民の意識調査(二万四千八十人対象)でも、深刻な結果がでています。
 たとえば、「結婚に対する態度」では既婚の人の場合、自分の子どもの結婚相手が部落の人だとわかったとき、「絶対に結婚を認めない」が五・〇㌫、「家族の者や親戚の反対があれば、結婚させない」が七・七㌫、「親としては反対するが、子どもの意志が強ければしかたない」が四一・〇㌫で、なんらかの形で反対する可能性があるこの三つの回答をあわせると、じつに五三・七㌫にも達します。
 未婚の人の場合、自分の結婚相手が部落の人だとわかったとき、「絶対に結婚しない」が二・八㌫、「家族や親戚の反対があれば、結婚しない」が一五・九㌫で、あわせて一八・七㌫にも達します。
 ② 根深い結婚差別の背景には、いまなお結婚にさいして「家柄」を気にする風習が存在しています。先に引用した総務庁の国民意識調査結果では、部落外で、結婚にさいして「家柄をいつも気にしている」が一四・〇㌫、「おかしいと思うが、自分だけ反対しても仕方がないと思う」が三一・〇㌫、「まちがっているから、なくしていかなければならないと思う」が五三・五㌫となっています。この調査結果をみると、今日でも四五・〇㌫もの人びとが、結婚にさいして相手の「家柄」を気にしている風潮があることが明らかになっています。

8 長期化する経済不況下で新たな実態調査を
 ① 一九九三年の総務庁の実態調査から七年が経過しました。この間、経済不況の長期化、あいつぐ企業倒産、戦後最高の失業率、地方財政の危機などの影響を部落はもろにかぶっています。この結果、部落の企業の倒産、失業者の増大といった問題が深刻化してきています。一九九五年に実施された三重県や大阪府泉南市による実態調査では、部落の失業率の上昇という結果が、明確に示されています。
 ② 長期化する経済不況が部落に与えている深刻な影響はもとより、二〇〇二年四月の、「地対財特法」期限後の方向を明らかにするために、二〇〇〇年に部落差別の原因に迫る、新たな実態調査を実施することを政府・自治体に求めていきます。

三 21世紀を前にした大会の意義と任務

1 20世紀の部落解放運動
 ① 二〇世紀の部落解放運動をふりかえったとき、最大の出来事は、一九二二年三月三日の全国水平社の創立です。この創立大会で、永きにわたる差別の歴史を告発し、部落大衆の決起と団結によって部落の完全解放と全人類の解放をよびかけた「水平社宣言」を高らかに掲げたのです。この「水平社宣言」こそ、日本で最初の人権宣言であるとともに、部落解放運動の原点でもあり、今日もなおその輝きは失われておらず、多くの人びとの心をとらえています。
 ② 全国水平社は、日常公然と存在していた差別を糾弾し、部落差別の不当性を社会的に明らかにしていきました。その運動は燎原の火のように拡大し、全国の部落に水平社の組織がうち立てられていきました。差別糾弾は、福岡連隊差別糾弾闘争や高松差別裁判糾弾闘争に象徴されるように、軍隊や裁判にまでおよぶ果敢なものでした。
 ③ しかし、日中戦争と第2次世界大戦に突入するなかで、天皇制軍国主義による国内の大衆運動にたいする弾圧は熾烈をきわめ、全国水平社はこれに抵抗したものの、ついには戦争協力を余儀なくされるにいたりました。これは、反省と痛恨の歴史でした。
 ④ 敗戦後間もない四六年二月、部落解放運動は、部落解放全国委員会として再出発しました。解放の父、故松本治一郎委員長を先頭にして「日本国憲法」の第一四条に「社会的身分」、第二四条に「婚姻は、両性の合意のみに基く」ことを明記させるなど、部落差別撤廃・人権確立に役立つ文言を入れるためのとりくみや、人間天皇を否定する慣習(カニの横這い)に抗議する闘いなど、民主化を求める力強い運動をくりひろげました。
 ⑤ 五一年、京都でのオールロマンス糾弾闘争をきっかけとして、部落解放運動は、部落と部落大衆がおかれている劣悪な実態を差別の結果ととらえ、その改善を求める行政闘争を地方自治体にたいして展開していきました。この闘いのなかで、しだいに運動は大衆化し、五五年八月、現在の部落解放同盟へと名称を変更しました。
 ⑥ その後、部落解放同盟は、国策樹立請願行進を数次にわたって展開し、六〇年八月「同和対策審議会設置法」の制定、六五年八月、「内閣同和対策審議会答申」を獲得したのです。「同対審答申」は、「同和問題の早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である」ことを明らかにした、画期的なものでした。六九年七月には、「同和対策事業特別措置法」が制定されました。「同対審答申」とその後の一連の「特別措置法」を活用した果敢な運動によって、部落の実態は、住環境面を中心に大きく改善されてきました。
 ⑦ 六三年五月、埼玉県で狭山事件がおこりました。六〇年代の後半以降、狭山差別裁判に反対する闘争を、「一人は万人のために 万人は一人のために」の精神のもとに全国の部落でねばり強く展開するとともに、労働組合との共闘関係を構築していきました。
 七五年十一月、『部落地名総鑑』差別事件が発覚しました。この事件を糾弾するなか、民間企業で部落問題・人権問題にたいするとりくみが組織的にはじまりました。
 七九年八月、第3回世界宗教者平和会議での差別事件が明らかになり、宗教関係者の積年の差別体質が鋭く糺され、宗教関係者のなかでも部落問題・人権問題にたいする組織的とりくみが開始されました。
 こうして、部落問題解決が国民的課題としてとりくまれるところとなってきたのです。 
 ⑧ 七〇年代後半から、全国水平社以来の国際連帯の活動を受け継ぎ、国連の人権活動や世界各地で差別と闘う運動との連携が飛躍的に強められました。八八年一月、部落解放同盟の提唱により全世界からいっさいの差別撤廃をめざして、「反差別国際運動(IMADR)」が創立されました。九三年七月、「反差別国際運動」は、それまでの活動が評価され、日本に本部をもつ最初の国連反差別・人権NGOとして承認されました。また、アジア・太平洋地域の地域的人権保障を確立するため、わが同盟が積極的な役割をはたすなかで、九四年七月、「財団法人アジア・太平洋人権情報センター」が設立されました。

2 第3期の部落解放運動
 ① 日常公然と存在していた差別を果敢に糾弾した全国水平社時代の運動を第1期、部落と部落大衆のおかれている実態を差別の結果ととらえ、地方自治体や国にたいしてねばり強く行政闘争を展開してきた戦後の運動を第2期とすれば、一九八〇年代後半以降、部落解放運動は、第1期、第2期の運動を包含しつつ、連帯・共闘を主軸とした第3期に突入してきています。
 ② 第3期の部落解放運動のおもな特徴は、つぎの五点です。
 まず第一点は、部落問題の部分的な解決ではなく、根本的な解決をめざしていくことにあります。このため、部落のなかでは、住環境面の改善はもとより、部落大衆の自主解放・自己実現を達成するための教育の向上、産業・職業の安定を実現していくことが決定的に重要な課題となってきています。
 ③ 第二の特徴は、差別事件の根絶をはかるため差別の原因に迫る糾弾闘争を展開するとともに、悪質な差別にたいする法的規制や差別の被害者を効果的に救済するための独立の機関の設置(人権委員会・仮称)を求めていることです。
 ④ 第三の特徴は、「イエ」意識、「ケガレ」意識と深く結びつき根深く存在している差別意識・差別文化を撤廃するために、あらゆる機会に、あらゆる場所で、すべての人びとのなかで人権・「同和」教育を推進し、人権文化の創造を求めていくことです。さらに、戸籍制度に代表される、部落差別の解決を困難にしている制度・システムの変革を求めていくことです。
 ⑤ 部落差別は、すぐれて地域社会での差別である、という特徴をもっています。部落の解放と、地域社会全体を人権が尊重された民主的な社会に変革していくこととは、きり離しがたく結びついています。このことから、第3期の部落解放運動の第四の特徴は、人権尊重のまちづくりに積極的な役割をはたしていくことにあります。「部落差別撤廃・人権条例」の制定、人権施策基本方針や総合計画の策定を求める運動は、きわめて重要な意義をもっています。この運動は、人権を軸とした社会システムと、人と人との豊かな関係の構築をめざしたとりくみでもあります。
 ⑥ 第五の特徴として、国際化時代に対応した課題を看過することはできません。今日、世界はあらゆる面で一体化を強めています。一国内の差別は、他国での差別と結びついています。かつて日本で『部落地名総鑑』を購入していた企業は、アメリカでは黒人を差別し、アパルトヘイト政策を維持していた南アフリカと取り引きしていたのです。このような時代にあっては、部落の完全解放は、全世界に存在している差別の撤廃と深く結びついており、まさしく世界の水平運動が求められているのです。その点では、反差別国際運動の強化・発展はきわめて重要な課題です。
 ⑦ 第3期の部落解放運動を象徴するものとして、八五年五月、部落問題の根本的な解決に役立つ法律として「部落解放基本法案」がとりまとめられ、その実現をめざす運動が開始されました。この法案は、部落問題の根本的な解決の重要性を明らかにするとともに、劣悪な実態を総合的に改善するための事業の実施、差別意識を撤廃し人権意識を確立するための教育・啓発の推進、悪質な差別事件を規制するための法整備と被害者の効果的救済のための人権委員会の設置、地方自治体と国の行政機構の整備と審議会の設置を盛りこんだ、包括的なものです。
 ⑧ さらに九七年五月、わが同盟は第54回全国大会で新綱領を採択し、部落解放の展望を「ふるさとを隠すことなく、自分の人生を自分で切り拓き、自己実現していける社会、人びとが互いの人権を認め合い、共生して行く社会、われわれは部落解放の展望をこうした自主・共生の真に人権が確立された民主社会の中に見いだす」ことを明らかにしました。

3 今大会の意義と任務
 ① 今大会の意義と任務は、全国水平社以来の七十八年におよぶ運動の経験をふまえ、内外情勢の特徴をしっかりと分析し、部落の完全解放と人権確立を実現していく二一世紀の運動の基本方向を明らかにしていくことにあります。このためには、わが同盟の運動を飛躍的に転換し、第3期の名にふさわしい新たな運動を大胆に創造していくことが求められています。全国的な運動の現状をみたとき、依然として第2期の運動に終始している状況が少なからずみうけられます。これでは、完全解放の展望を切り拓くことができないだけでなく、これまでの運動が獲得した成果さえ維持することはできません。新たな運動の基本視点として、つぎに八点の柱を提起します。
 ② まず第一は、一人ひとりの部落大衆の自己実現を支援する同盟組織への転換です。これまでの部落解放運動は、主として部落自体がおかれていた劣悪な実態の改善にとりくんできました。この成果をふまえ、これからは多様な要求をもっている部落大衆一人ひとりの要求にしっかりと耳を傾け、これを組織化しつつ、自主解放・自己実現ができるよう支援していく運動への転換が求められています。
 ③ 第二は、部落を核に市町村全体、都府県全体を人権が尊重されたまちにつくりかえていく闘いの先頭に立つ同盟組織への転換です。これまでの部落解放運動は、主として部落を改善するために全力を傾注し、大きな成果をあげてきました。しかし、部落の周辺には、困難な状況を抱えた地域も少なくありません。また、部落を含む市町村、さらには都府県全体をみても、人権の視点からのまちづくりは大きくたちおくれています。こうした状況を放置したままでは、部落の完全解放は実現できません。「部落差別撤廃・人権条例」の制定、人権施策基本方針と総合計画の策定、人権教育基本方針の策定や人権教育・啓発センターの設置、人権尊重のまちづくりをめざした広範な住民運動を組織し、その先頭にたってわが同盟が闘っていくことが求められています。
 ④ 第三は、「特別措置」のみによりかかった運動ではなく、一般施策の活用と創造にとりくむ同盟組織への転換です。「同対審答申」でも明らかにされているように、部落差別の実態が存在するかぎり、「同和」行政は推進されなければなりません。けれども、その手法は多様です。部落差別の実態がきわめて劣悪な状況におかれていて、一般施策ではその改善が望めないとき、一時的な方策として「特別措置」が必要となったのです。しかし、「特別措置」を実施することによって差別の実態が一定改善されてきたならば、特別措置はそれに見合ったものに整理されなければなりません。これからは、真に必要とする人びとに限定して「特別措置」の適用を求めるとともに、一般施策の活用と創造に大胆にとりくんでいく必要があります。
 ⑤ 第四は、情報化社会の到来に対応できる同盟組織への転換です。パソコンやインターネットが急速に普及し、あらゆる面で大きな役割をはたすところとなっています。部落の完全解放と人権の確立に向けても、この力を最大限活用する必要があります。このため中央本部のホームページを充実するとともに、各都府県連や関連団体とのネットワークの構築をはかっていきます。
 ⑥ 第五は、少子・高齢化社会の到来をふまえた同盟組織への転換です。部落でも、急速に少子化が進行してきています。このため、子ども会活動、保育所や児童館(青少年会館)活動のあり方を見直し、子育て支援の充実にとりくんでいきます。高齢化については、部落では周辺地域よりも速く進行してきています。介護保険の導入という新たな局面をふまえ、相談活動を充実させ、部落の高齢者の実態をしっかりとふまえた対応を関係方面に求めていくとりくみを強化していきます。
 ⑦ 第六は、国際化時代の到来をふまえた同盟組織への転換です。近年、部落のなかから、とりわけ若手のメンバーが積極的に海外で学び始めています。また、部落に居住する外国人も増えてきていますし、部落産業にも外国人労働者が働いている実態があります。「反差別国際運動」をわが同盟が中心になって創立し、その活動に積極的に参画してきています。国連の人権関係の会議でも部落問題がとりあげられてきています。二一世紀の部落解放運動を考えたとき、国際的な視野をもった活動が飛躍的に拡大することはまちがいありません。それを担いうる人材を意識的に育てていく必要があります。
 ⑧ 第七は、ボランティア・NPO時代の到来をふまえた同盟組織への転換です。これまでの部落解放運動は、少数の専従者中心の運動、一部行政依存の運動であったといえます。けれども、これからの運動は、ボランティアの協力を積極的にえていくとともに、わが同盟が推進力になって、福祉や人権教育、人権のまちづくりのNPOを創設していくことが必要です。このため、高校生や大学生、青年や女性にたいする働きかけを強めるとともに、解放学校への参加、糾弾闘争や行政闘争、共同闘争や人権のまちづくり、さらにはNPO活動への積極的な参加を促し、支援するとともに、各級機関への大胆な登用をはかる必要があります。
 ⑨ 第八は、多様な被差別部落の歴史と実態をふまえた同盟組織への転換です。第2期の部落解放運動は、中央本部や都府県連主導の運動でした。この運動によって、「同対審答申」「特別措置法」が獲得され、それぞれの部落の改善がなされていったのです。しかし、もともとそれぞれの部落の成り立ちは多様で、存在形態も千差万別です。都市型の部落もあれば、農村型の部落もあります。大規模な混住型の部落もあれば、少数点在でほとんど混住していない部落もあります。これまでの運動によって大きく改善された部落もありますし、これから改善にとりくむ部落もあります。また、一定改善されてきた部落では階層分化が進行してきています。このような部落の多様な実態に見合った創意工夫をこらした運動が、それぞれの部落のなかから創り出されなければなりません。このため、部落差別の今日的な実態と差別の原因を明らかにしていく総合的な部落実態調査を実施し「部落解放白書」をつくりあげ、これを実現するために、まさしく、故上杉委員長がよびかけた「ムラ自慢・支部自慢」の運動を、なおいっそう本格的に展開する必要があるのです。

4 人権と平和の21世紀をめざして
 ① 二〇世紀は、基本的には国家が中心になって物事を決めてきました。二一世紀でも、国家の役割はなくなることはありません。しかし、経済はもとよりあらゆるものがグローバル化した結果、人権、平和、環境、開発といった基本的課題が、いずれも一国内では解決できない「人類的課題」となってきています。このため、二一世紀には、さまざまな課題の解決に国連をはじめとした国際機関のはたす役割が大きくなっていきます。
 ② 一方、人びとの生活と密接に結びついている分野については、地方自治体のはたす役割が大きくなります。この点については、日本でも「地方分権推進法」が施行され、その第一歩が踏み出されました。
 ③ さらに、近年の国際会議では、NGOや市民のはたす役割が大きくなってきています。たとえばこのことは、昨年十一月アメリカのシアトルで開催された世界貿易機関(WTO)の閣僚会議で、「大企業の利益だけに奉仕する貿易・投資の自由化」に反対するNGOや市民の果敢な運動によって、予定した議案の採択ができなかったことに示されています。
 ④ こうして、きたるべき二一世紀は、国連をはじめとした国際機関、国、地方自治体、NGO、市民のパートナーシップをつくりあげることによって、人権、平和、環境、開発といった「人類的課題」の解決をめざしていくことが求められています。わが同盟も、「水平社宣言」と新綱領の精神に立って、その名誉ある一翼を担っていこうではありませんか。
 そのための一環として、二〇〇二年三月の全国水平社創立八〇周年記念行事への準備をすすめます。


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