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反差別で仲間と連帯しともに学び、交流
第35回全国高校生集会で

「解放新聞」(2003.08.11-2132)

 

 部落解放第35回全国高校生集会を7月26~28日の3日間、京都・大谷ホールを主会場にひらき、全国から反差別に連帯する高校生900人が参加。それぞれの思いを語り合い、部落差別をはじめあらゆる差別をなくそうと、ともに学び、交流した。
 全体会では、地元京都の高校生による実行委「未来に向かって主張する高校生実行委員会」が中心となって集会をすすめ、狭山事件の石川無実を謳ったオリジナルソングをみんなで歌うなどでおおいに盛りあがった。記念講演に「いま、君が輝く瞬間」と題して北星学園余市高校教諭の義家弘介さんが、自分の生い立ちから大切な人との出会いをへて、教諭をするにいたった半生を語った。
 分科会では、「親の生きざま・私の生い立ち」など5つの分科会で、差別との出会いや、部落に住んでいることや在日コリアンであることなどマイノリティーとしてのアイデンティティの問題、仲間と連帯し差別をなくしていく思いを語り合った。
 3日目は、各都府県連から32人の代表が、全高へ参加し全国の仲間と交流できて良かったなどと発言し、地元に帰って、さらにとりくみをすすめることを確認しあった。

 

記念講演
「今、君が輝く瞬間」
北星学園余市高校教諭 義家弘介 (よしいえひろゆき)

小さい頃は居場所なく

 人生の3分の2を「不良」とよばれる人間として生きてきた。
 生まれてすぐに両親が離婚し、父親方に引き取られ、おじいさんとおばあさんに育てられた。半年ぐらいあとに父が再婚し、弟が生まれた。その弟が独占する母親の膝の上をかちとろうというのが最初の闘争。寂しさは、自分を「素直」でなくさせ、また、弟いじめに走らせ、小学校にあがるころには親子の関係は希薄だった。家庭も親たちのため、学校も教師たちのため、社会も大人たちのため、と、すごくむなしかった。
 中学校では、「不良」の3年生の先輩たちが、さみしさを埋めてくれた。先輩は、悪いことのほうが多いが、口だけでない。「お前のために体はってやるよ」といったら本当に体をはってくれる。先輩の卒業後は、学校にも家にも居場所がなく、夜の繁華街へ出た。
 高校は1年で退学になり、児童相談所にあずけられ、長野市の、実家とまったく反対側にある里親さんに育てられた。もう闘うべき敵はいなかった。学校は英語ではスクールといい、語源はギリシア語で「暇」の意。無限の暇のなか、ドイツのへ-ゲルという哲学者がとなえた弁証法という考え方を知り、いままで拒否しつづけてきた何かを肯定しようと考え、学校にいこうと思った。廃校の危機にあった北星学園余市高校が、全国の中退者を、やめた学年から受け入れるという記事が『朝日新聞』に出て、88年4月、その2年生に、1年遅れて編入した。
 担任の安達俊子先生は、ダメなものはダメ、いいものはいいと相手の顔をうかがわずにつっこめる人。おそろしくへなちょこだが、直球を投げる人だ。

担任に心を動かされた

 掃除当番の日、掃除せずに帰ると「なぜ帰った」とすぐに来た。「給料をもらっているのだから先生が片づけるのがあたりまえ。おれたちは学費を払っている側だから、いい授業、いいサービスを受け、が、普通だろう」といったが、先生は「そうじゃない。うちの学校は教師も生徒も力をあわせて守っていかなければなくなってしまう学校。教師と生徒でみんなでやるんだ」と真っ赤な顔。「でもオレはやらないよ。つぎからやるからもう帰ってくれ」といったら「ダメ」「ダメ」「ダメ」の「一点張り。無視したが、30分、40分と経過し、このままつづくなら掃除したほうがましだと「いくよ」というと、先生はすごくうれしそうな顔で「ありがとう」といった。
 そのまま2人で掃除した。たかが掃除だが、この人はそんなことにさえ目を背けないと思ったら、すごくうれしかった。
 ある日、安達先生は、生徒が掃除したあとを一人で床に座って床を拭いていた。「自分はこの学校の初代校長の理念に共感して赴任した。この学校とここの生徒たちは自分の宝物だ。だから大事にするのが当たり前だ」と。ウソつきの大人じゃない、本当に大事なものは大事だといえる人間だと思い、心がひらけた。この人は好きだという前向きな気持ち。すごく安らかな2年間だった。
 大学に入り、人から一目置かれて、弱者の側の人間でいれて、体制にかみつくことができる存在、そんな仕事を考え、弁護士になろうと必死に勉強した。ほとんど単位をとり、卒業を待つばかり、翌年8月に司法試験。その矢先にオートバイで事故、横浜の病院で危篤になった。4年前に卒業した、できの悪かったたった一人の俺のために、安達先生は北海道からわざわざ来ていた。涙を落とし、「死んではだめ。あなたは私の夢だから」と。こんなに「生きたい」「あたたかい」と思ったことはなかった。
 奇跡的に退院したが、大学は1教科を残して留年。ずっと嫌われて生きてきたオレを「夢だ」といってくれたあの先生が歩いた道のつづきを、自分は必ず歩いてみせると心から思った。10年間必死に追い求めたら夢は絶対にかなう、自分はそう信じる。北星余市高校と出会って10年目の99年、北星学園余市高校の教師に採用された。
 もし「こんな大人たち」という気持ちがどこかにあるならば、自分たちはどんな大人たちになるかをたえず考えてほしい。新しい時代がこれからこなければいけない。みなさんの世代はこれからの社会を動かす原動力になる世代だ。


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