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部落問題資料室
NEWS & 主張
早急な解決を
「ゴミとチョリポはいらない」と
旧・本城村で個人名ざしで

「解放新聞」(2008.07.21-2379)

 【長野支局】県連は、旧・本城村在住のAさんにたいして「ゴミとチョリボはいらない、この地区からすぐに出て行け」などと書かれた差別文書がAさんの工場事務所に投げ込まれたり、墓石に「ごみ」と書かれるなど、2005年8月に発覚した「筑北村(旧本城村)差別文書投函事件」に関する懇談会を5月16日、筑北村の筑北福祉総合センターでひらいた。関森省吾・筑北村長が、「人権条例をふまえ、その具体化をはかりつつ、早急な解決をはかりたい」とのべるなど、懇談会参加者全員で「差別を許さない人権確立の村」をめざすことを確認した。

筑北村と懇談会
  この旧・本城村差別文書投函事件は、当初は旧・部落解放推進の会でとりくみ、組織統一した06年4月以降は部落解放同盟長野県連が引き継ぎとりくんできた。また、05年10月には本城、坂北、坂井の3村が合併して「筑北村」になった。
  懇談会には、筑北村からは関森村長をはじめ議会、教育、村の主要な関係団体関係者ら19人が、県連からは竹之内健次・県連委員長ら13人とAさん夫妻が出席した。
  懇談会では、星沢重幸・県連副委員長が事件の概要と経過をのべ、Aさん夫妻が差別を受けたときの気持ちや、「離婚まで考えた」家族をも分断する卑劣な差別の現実を訴えた。
  一方、筑北村は「Aさん擁護を基本にし、事件があった当該区に「差別を許さない」意識形成をはかろうと区関係者との懇談要望を村としておこなってきたが、懇談会をかたくなに拒む区の姿勢があり実現できていないことや、当該区民の多くはこの事実を知らないことなどを、とりくみ経過とともに報告した。
  県連は、「差別文書を書いた犯人をさがしているのではなく、差別が許せない、なくしたい」と訴え、今後のとりくみとして①Aさんの擁護(当該区とAさんの関係修復)をはかる②村の人権確立に向けた具体的な考えと施策の提示、の2点を求めた。
  意見交換では、「当該区が差別根絶への意識統一をすることが一番重要で、工夫したとりくみ」「人権条例にもとづいた具体的施策の展開」などが出され、Aさんの妻は「いまだに態度にあらわす人もいる」と悲痛な訴えをおこなった。
  まとめで、竹之内県連委員長は、「差別に怒りをもって差別をなくすという共通認識がないと解決にならない。Aさん夫妻の不安を取りのぞく、思い切ったとりくみが必要」と強調した。また、関川芳男・村議会議長は、「全員協議会でもさらに話し合いを深め、村と一体となってとりくみたい」と決意を語った。

事件の概要 Aさん夫妻にたび重なるいやがらせが
 ①2005年8月1日、本城村在住のAさんから友人の布野兼一・部落解放推進の会(以下、推進の会)中南信地区協議会書記長へ「事務所に差別文書が投げ込まれた」と電話。布野書記長は「直ちに役場への報告」を指導し、推進の会県本部に連絡。翌2日、星沢重幸・推進の会県本部書記長と布野書記長がAさん夫妻から事情を聞いた。
  ②Aさんは、「7月20日の朝、工場(すでに閉鎖されている)の事務所を開け、机の上にあった書類を見ると、表書きが個人名で書かれた封筒があり、開けてみると差別文書が入っていた(内容は別掲)」と。Aさん自身、それまでのたび重なるいやがらせに困り果て、どうすればと思案して
いたが、「7月29日に盆が近いので墓の掃除にいくと、墓石の前の木(直径15センチくらい)に、黒マジックで「ごみ」と大きく書かれた段ボール紙(タテ約25センチ、ヨコ約40センチ)がひもで縛られていた」。Aさんはたび重なる悪質ないやがらせにがまんができず、友人の布野さんに相談したと切せつと訴えた。
  また、Aさんは、「結婚して7年になるが、とくにここ2年ほどは日常、村の人たちから冷たいあつかいを受けてきた。がまんしてきたがもう限界。近所付き合いもできないでいる妻は泣きながら「もうここにはいられない。逃げたい。首をつって死にたい」と何度も私に迫った。そのたびに「もう少しがまんしよう」ととどめてきた。しかし妻は「死ねないんなら離婚をし、生まれたところに明日にでも帰る」といい、離婚届をもっている」とも話した。
  ③推進の会県本部は、同年9月6日に本城村長と同村教育委員会宛に真相究明の要望書を出し、9月28日には、村の関係者同席のもと確認会をおこなった。

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