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「人権週間」によせて、「ダーバン宣言」から20年とこれから

「解放新聞」(2021.12.05-3010)

 第2次世界大戦時のナチス・ドイツのユダヤ人虐殺や日本の侵略戦争による東アジアでの大量虐殺など深刻な人権侵害を生んだことを反省し、国連は「世界人権宣言」を1948年12月10日に採択した。「すべての人間は生まれながらに基本的人権を持っている」ことを公式に宣言し、「あらゆる人と国が達成しなければならない基準」を定めた。法的拘束力をもたせるために人権諸条約が採択された。「世界人権宣言」を具体化する「国際人権規約」(自由権規約・社会権規約)、「人種差別撤廃条約」「女性差別撤廃条約」「難民条約」「子どもの権利条約」「障害者権利条約」などマイノリティの人権保障に特化した条約が採択された。

 日本では条約を批准(加入)すると憲法につぐ国内法として機能するので、条約に違反する国内法は改正を余儀なくされる。「障害者権利条約」を批准するためには、「障害者基本法」を改正、「障害者自立支援法」を「総合支援法」に改正し、「障害者差別解消法」制定を待って、批准した。条約が示す「新しい人権概念」にもとづいて国内法と制度を改正し、マイノリティにたいする制度的差別を解消することになる。

 しかし、国家は制度的差別を温存しようとするので、条約が機能することを嫌う。国家中心主義の台頭である。国連人権諸機関は国内のマイノリティの権利獲得運動と連携しながら、人権諸条約を国会で承認させ、国内法として機能させる努力をしてきた。残念ながら、現在も人種主義、人種差別、マイノリティへの人権侵害は克服されずにある。

 2001年、南アフリカ・ダーバンで反人種主義・差別撤廃会議が開催された。正式名称は「人種主義、人種差別、外国人排斥及び関連ある不寛容に反対する世界会議」である。アパルトヘイトを廃止した場所での人種差別撤廃世界会議開催である。政府関係者と欧米中心のNGOが課題を協議して「宣言や行動計画」を出す従来の世界会議と様相を異にしていた。

 注目されたテーマは、奴隷制と植民地支配にたいする謝罪と補償、イスラエルによるパレスチナ抑圧、職業と世系にもとづく差別であった。国民国家体制の根本にかかわる不正義の問題であり、植民地支配とそれに連なる人種主義、人種差別を告発し、国家の過去の歴史的不正義の責任を追及する会議となった。奴隷制は「人道に対する罪」であり、現在も継続している人種差別は植民地支配に由来することを認め、「ダーバン宣言」と「行動計画」に結実させた。

 欧米諸国は植民地支配の責任を認めたが、謝罪し賠償することに強く抵抗した。日本も消極的姿勢をとり、会議では沈黙を維持した。インド政府の抵抗で「カースト及び類似した形態の差別」は最終文書に入らなかった。

 もう一つの特徴は、被害当事者が多数参加したことである。植民地支配と奴隷貿易の補償を求めるアフリカ系住民、インドのダリット、先住民族など各国のマイノリティが参加し、声をあげた。日本のNGOの参加者は、「ダーバン2001」に結集した。反差別国際運動、部落解放同盟、世界人権宣言大阪連絡会議なども参加した。「人種差別との闘いという最大の課題にこれから挑戦する」と閉会の言葉で締めくくられた。

 奴隷制と植民地支配は誤りであり、法的責任と歴史的不正義が追及された。「小さくされた者」・マイノリテイが声をあげる。社会的不正義を押しつけられた人間たちの語りや苦闘が、加害者である国家の責任を問う。国家が誤りを認め、謝罪し、賠償する過程で、被害者の「個人の尊厳」が回復される。

 不正義をおこなってきた国家は抵抗し、条約が国境線のなかに入り込むことを拒否し、制度的差別を維持しようとする。「小さき者」の声を封印し、「小さき者」の声は内政問題、個人の問題だとし、誤りを認めず、マイノリティへの社会的不正義を封印し、歴史の闇に閉じ込めてきた。しかし、国際人権の潮流のなかで、被害者たちは国家の過去を法の前によび出した。

 反人種主義・差別撤廃世界会議後の20年にわたる重要課題のフォローアップは苦難の道である。パレスチナ問題でイスラエルが「人種主義だ」と非難され、アメリカとともに会議をボイコットしたように市民社会と国家の対立は厳しく、緊張関係をはらみながら採択にいたった「宣言と行動計画」は着実に実行されているとはいいがたい。「誰一人取り残さない」ことを原則にしたSDGsはマイノリティを重視する流れを生み(15年)、国連「平和への権利宣言」(16年)、「核兵器禁止条約」(17年)など人権・平和・環境のとりくみがすすんでいる一方で、人種差別と人種主義がまん延し、ヘイトクライムが多発し、反人種主義・差別撤廃の闘いは壁にぶつかっている。

 人種差別撤廃委員会は、「職業と世系に基づく差別」として部落問題をとりあげ、「世系に基づく差別に関する一般的勧告29」(02年)を採択した。「職業と世系に基づく差別の効果的撤廃のための原則と指針案」を人権理事会に提出(08年)したが棚ざらしになっている。国連人権高等弁務官事務所の「世系に基づく差別撤廃のためのガイダンスツール」が発行(17年)された。国連でのとりくみは進展したが、条約の「Descent」に部落問題がふくまれるとする日本政府見解をひき出せないでいる。

 「ヘイトスピーチ解消法」(16年)を成立させたが、「ヘイトスピーチ解消法が制定されてもなお、ヘイトスピーチは終わらない」と条約委員会が指摘するように、包括的差別禁止法制定の前で足踏み状態である。

 在日朝鮮人にたいする差別・迫害は悪化の一途をたどり、朝鮮学校を標的にするヘイトクライムは深刻である。植民地主義を出発点とする入管体制は人種主義と外国人排斥を継続し、スリランカ女性の名古屋入管施設での虐待死を生み出した。さらに排斥を強化する「入管法改正案」は国会前での抗議行動や国連からの批判、国会での追及の前にとりさげられた(21年)。政府機関から独立し、国際基準にしたがって監視する人権委員会の設置が急がれる。

 植民地時代の日本軍性奴隷制や強制連行・徴用工問題は戦後補償問題として未解決である。

 「先住民族権利宣言」(07年)による土地権・民族自決権を先住民族に認めることが重要な課題になっているが、「アイヌ政策推進法」(19年)に先住民族と初めて記載されただけで、先住民族の権利は保障されていない。国立アイヌ民族博物館に隣接する慰霊施設に墓から盗掘した遺骨を保管したが、コタン(アイヌの人びとの集落)への返還問題は解決していない。

 「ダーバン宣言」は、前世紀からの植民地主義や制度的差別を過去の遺物として封印し忘却するのではなく、「歴史の真実を語ることが、国際的な和解、ならびに正義・平等・連帯に基づく社会の創造にとって必須の要素である」とよびかけている。宣言の意義を、マイノリティの現場でとりあげ、制度的差別を解消していく未来へのエネルギーにしていきたい。

 国連人種差別特別報告者のテンダイ・アチウメさんは「宣言と行動計画」に関する20年の経験を共有し、活用するための報告書を提出する。反差別国際運動・在日韓国人問題研究所が情報提供をした。また、ERDネット(人種差別撤廃ネットワーク)は11月28日にオンライン集会を開催。現場からの報告、海外からの連帯メッセージをドゥドゥ・ディエンさん(人種差別に関する国連特別報告者)、リタ・イザック・ンジャエさん(国連人種差別撤廃委員会委員)から受ける。12月10日、参議院議員会館で「国連人権勧告の実現を!外国から見た日本」のテーマで外国人の人権救済にあたっている指宿昭一・弁護士が講演。「反レイシズムあたりまえキャンペーン」は、「ダーバン宣言」と「行動計画」を基礎に、つぎの10年に向けた反差別と人権の宣言と行動計画をつくり出す運動をよびかけている。

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